東京名所巡り2
皆さん、こんにちは‼︎
今回は、増上寺さんのあとに回った泉岳寺さんを紹介したいと思います。
赤穂義士と言えば年末によく放映される
"忠臣蔵"
なぜ、毎年放映されるかと言うと
四十七人の供養と忘れないためだとか。
時代は、お犬様で知られる五代将軍・徳川綱吉のとき、水戸黄門が活躍していた時代です。
綱吉の生母の「桂昌院(けんしょういん)」が、女性最高位の従一位(じゅういちい)の官位を授かり、その祝いとして江戸城に藩主たちを呼んだときに、事件は起こります。
赤穂藩主(あこうはんしゅ)、
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、
吉良上野介(きらこうずけのすけ)に、
度重なる侮辱を受けて、
江戸城内で刀を抜いて、
吉良に斬りかかったことから
「おめでたい時に、江戸城において刀を振るうとは何事だ!」ということで、
一方的に浅野を切腹させてしまいます。
吉良はおとがめなしという、
何とも納得のいくものではありません。
納得のいかない、赤穂藩主たちは、
吉良に仇討をすることに。
これが有名な「忠臣蔵」の
大まかなあらすじです。
赤穂の一番の家来であった「大石内蔵助」は、武士として浅野の仇を討つことを決意します。
一年ほど経ち、大石率いる四十七の赤穂たちは、静かに京都を出発し、江戸に入り、
元禄15年12月15日(旧暦)の明け方。
四十七人の浪士は、吉良上野介の屋敷に
押し入り吉良を探し回ります。
夜が更け始めようとしたその時、
炭小屋に吉良を見つけ討ち取ります。
大石たちは、そろって浅野のお墓に行き、
吉良の首を供え、
仇打ちの成功を報告しました。
将軍・綱吉は、赤穂浪士たちを許すつもりでしたが、他の幕府の重鎮によって、これを許してしまうと、また仇討する者が出てきてしまうということで、赤穂浪士、四十七人全員を切腹させてしまったのです。
浪士たちは、最期まで武士らしく生きる道を貫いたのである。
これが赤穂義士のお話です。